屍鬼 第21話
彼等の平穏は、相手を滅ぼさなくては決して成し得ない。
屍鬼があまりにも多く、あまりにも狩り過ぎたため、村人たちはもうそれを単なる「作業」としてしか捉えないようになってきていた。ちょっとした大きなゴミを片付ける程度にしか。誰もがもう疑問を抱くことはなく、そんなことしている暇があれば、一刻も早く村を正常化するため、屍鬼を埋める。それだけで、人々は動いていました。
どんな異常でさえも、それが長期に渡って続いてしまうと、人はそれを「異常」から「日常」へと転化して考え捉えるようになる。それは「慣れ」と、括ってよいものかはわからないけれど、やっぱりそこには「みんなといっしょ」って現実があってこその、結果に思う。「それはおかしい」っていう人がいないのなら、何を異常とするかなんてあっという間にわからなくなるもんな。それらをまた本来の「平常」に戻すことは、容易なことではないだろう・・・
人狼も黙っておらず、和服姿の佳枝さんが逆に村人達を襲いまくっていました。が、そこに正志郎が現れ、彼女を射殺。彼の腕には噛まれた痕が残っていた・・・
いよいよ先生たちは桐敷家へ再度襲来、というときに、辰巳が沙子に仕える理由を話してくれた。
彼女は最初から滅びの象徴であり、でも彼女自身はそのことに抵抗し足掻く。その姿に魅力を感じ、美しいと感じる。
それが彼の彼女を守る動機であり、彼の生きる意味すべてにも聞こえました。
そこから辰巳が囮となり、静信が沙子を連れ逃亡。もうずいぶん前から、どっちが悪なのか。そもそもこの戦いに善悪はないのか。
2つの生き物がただ「生」を求めている。ただ安住の地を、ただ平穏を求めているだけに過ぎない。物語の中でそのこと描けているところが、この作品の偉大さの一つなんだろう。いつの間にか立場が変わってしまっている点や、それぞれの道理があるところ。主人公たちはいずれも疑問を抱きつつも、信念は曲げないところなどが、魅力と思います。キャラデザさえ好みだったらw 相当ハマれた作品になっただろうなぁ(^_^;)
年末も年末。晦日にとうとう最終話を迎える今作。夏からの作品の中では一番面白かったです。アニメとしての演出も素晴らしく、またしてもノイタミナ枠の良作になったと思う。ほんと毎週楽しみに見ていました。ラストももちろん、非常にたのしみです。
屍鬼があまりにも多く、あまりにも狩り過ぎたため、村人たちはもうそれを単なる「作業」としてしか捉えないようになってきていた。ちょっとした大きなゴミを片付ける程度にしか。誰もがもう疑問を抱くことはなく、そんなことしている暇があれば、一刻も早く村を正常化するため、屍鬼を埋める。それだけで、人々は動いていました。
どんな異常でさえも、それが長期に渡って続いてしまうと、人はそれを「異常」から「日常」へと転化して考え捉えるようになる。それは「慣れ」と、括ってよいものかはわからないけれど、やっぱりそこには「みんなといっしょ」って現実があってこその、結果に思う。「それはおかしい」っていう人がいないのなら、何を異常とするかなんてあっという間にわからなくなるもんな。それらをまた本来の「平常」に戻すことは、容易なことではないだろう・・・
人狼も黙っておらず、和服姿の佳枝さんが逆に村人達を襲いまくっていました。が、そこに正志郎が現れ、彼女を射殺。彼の腕には噛まれた痕が残っていた・・・
いよいよ先生たちは桐敷家へ再度襲来、というときに、辰巳が沙子に仕える理由を話してくれた。
彼女は最初から滅びの象徴であり、でも彼女自身はそのことに抵抗し足掻く。その姿に魅力を感じ、美しいと感じる。
それが彼の彼女を守る動機であり、彼の生きる意味すべてにも聞こえました。
そこから辰巳が囮となり、静信が沙子を連れ逃亡。もうずいぶん前から、どっちが悪なのか。そもそもこの戦いに善悪はないのか。
2つの生き物がただ「生」を求めている。ただ安住の地を、ただ平穏を求めているだけに過ぎない。物語の中でそのこと描けているところが、この作品の偉大さの一つなんだろう。いつの間にか立場が変わってしまっている点や、それぞれの道理があるところ。主人公たちはいずれも疑問を抱きつつも、信念は曲げないところなどが、魅力と思います。キャラデザさえ好みだったらw 相当ハマれた作品になっただろうなぁ(^_^;)
年末も年末。晦日にとうとう最終話を迎える今作。夏からの作品の中では一番面白かったです。アニメとしての演出も素晴らしく、またしてもノイタミナ枠の良作になったと思う。ほんと毎週楽しみに見ていました。ラストももちろん、非常にたのしみです。
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